オペラの原点:バロックオペラの楽しみ

バロック音楽をこよなく愛する人に贈るブログ

麗しのイタリア古典歌曲:ガスパリーニ作曲 いとしい絆よ

声楽を始めて、まず、習うのが全音楽出版社の「コンコーネ五十番」と「イタリア歌曲集」でしょう。高校の音楽の授業で習った人も多いのではないでしょうか(私は選択しませんでしたが)。

この「イタリア歌曲集」の序文をよく読みますと、この歌曲集はバロック音楽研究家であったパリゾッティによって出版された「イタリア古典歌曲集」を元にしていること、パリゾッティは「イタリア古典歌曲集」の出版によって埋もれてしまった17・18世紀のイタリアの声楽作品を20世紀に『再生した』と書かれています。

実際、パリゾッティが採用した古典作品は、パバロッティを始め、カレーラスドミンゴといった錚々たる歌手達に歌い継がれることで、今も愛され続けています。

そのような古典作品の中から、いくつかを紹介していくことにします。

最初に、フランチェスコ・ガスパリーニ作曲の『いとしい絆よ(Caro laccio)』を紹介します。

フランチェスコ・ガスパリーニ(1661-1727)は、トスカーナ大公国カマイオーレ出身。ローマでベルナルド・パスクイーニとアルカンジョロ・コレッリに師事したと言われます。

1686年にリビオルノでオペラ作曲家としてデビューしました。1701年にベェネツィアのピエタ慈善院の合唱長、1725年にはローマの聖ヨハネ・ラテラノ教会の楽長に任命され、その地で没します。

この作品は室内カンタータのアリアとして作曲されました。室内カンタータは17世紀当時レチタティーヴォとアリアからなる歌曲としてパトロンである貴族のために多数作曲されました。詩人は不詳です。

「愛」を紐で作られた輪(laccio)と結び目(nodo)に例え、愛に捕らわれることの苦悩と満足を謳っています。歌詞の通り、甘美な詩とメロディは聴くものを虜にします。


いとしい絆よ、甘美なる結び目よ
我が想いを縛り付けたり。
我は知る、我が苦しみと、それゆえ楽しみたるを、
心満ち足りたり、虜となるを。

Caro laccio, dolce nodo,
che legasti il mio pensier;
so ch’io peno e pur ne godo,
son contento e prigionier.

参考:Alessio Nicolavcich Gioittiの歌声でお聴き下さい。


オペラの楽譜ってどうやって手に入れるの?:ペトルッチ楽譜ライブラリー

みなさんの中で、楽譜はヤマハショップとかで購入するものと思っている人はいますか。

でも、オンラインで、しかも無料で入手する方法があります。以下のURL「ペトルッチ楽譜ライブラリー」を覗いてみて下さい。




音楽関係者で知らない人はいないのでしょうが、私は長らく知りませんでした。

ある日、発表会の伴奏をお願いしているチェンバロの先生から「IMLSP(ペトルッチ楽譜ライブラリーの正式名称)から楽譜をダウンロードしてきて下さい。」と言われました。「アイ・エム・エル・・・えっーと何ですか。」と思わず聞き返してしまいました。

私が歌っているような18世紀初頭か、それ以前に創られた古いオペラの楽譜は、大抵、このサイトから入手できます。中には、楽譜といっても、ダウロードしてみたら、ネウマ譜だったりしてびっくりです。チェンバロの先生は、その方が見慣れているから弾きやすいとおっしゃっていました。

このサイトの大本は、2006年に18歳の大学生によって始められたそうです。今はProject Petrucci LLCという会社によって運営されています。著作権訴訟の被告となったり、紆余曲折があったようですが、パブリックドメインにあるすべての楽譜を集めるという大きな目的に賛同する人たちが集まり、運営が継続されるとともに、蔵書楽譜もどんどん増えています。

先に「無料」と書きましたが、このサイトの趣旨に賛同される方は、是非とも楽譜を『購入』してあげて下さい。また、頻繁に利用される方は、会費を納めて挙げて下さい。

ヘンデル・オペラの魅力:タメルラーノ(2)

タメルラーノ(Tamerlano)』は、ゲオルグ・フリードリッヒ・ヘンデル(1685-1759)がロンドンに居を構え、王立音楽アカデミーに招かれてから作曲されました。初演は1724年ロンドンの王立劇場。作品が書かれた当時の状況や、オペラの粗筋については「タメルラーノ(1)」をご参照下さい。

以下、引き続き、主役であるバヤゼットのアリアを紹介します。

第一幕第六場。

今やタメルラーノの手先と化したアンドロニコに、バヤゼットとアステリアは直接申し開きを聞きたいと詰め寄ります。そして、バヤゼットはタメルラーノの申し出は断固として受け入れられないし、娘アステリアの意志も自分と同じであると吐き捨てます。

(バヤゼット)

もうお前に話すことはない!行け!
余が敵に答えるがよい。
その答えとは
アステリアの拒絶と余の首だ

天も地も怒りの武具を取れ、
余は無敵なる死を選び、強くなろう。
和平や王国を見捨てし者は
死など恐れぬのだ。

(VAJAZET)

Non più! ti dissi, vanne.
La risposta tu rendi al mio nemico,
e la risposta è questa:
il rifiuto d’Asteria e la mia testa.

Ciel e terra armi di sdegno,
morrò invitto, e sarò forte.
Chi disprezza pace e regno
non potrà temer la morte.

このアリア、本当は怒り狂った人の心情吐露のはずなのですが、長調で、とても陽気に聞こえます。他の作品でもそうですが、ヘンデルは人が怒っている場面のアリアを、長調で軽快なテンポで作るので、とても楽し気に聞こえてしまいます。

ヘンデルは、とても怒りっぽい人で始終切れまくっていたらしいですが、このような作品から察するに、ある場面でカンカンに怒っても、次の場面では決してそれを引きずらず、ケロッとしていたのではないでしょうか。私には、とても憎めない人柄だと思います。

参考:Rolando Villazónの力強い歌声でお楽しみ下さい。


ヘンデル・オペラの魅力:アルチーナ

アルチーナ(Alcina)』は、ゲオルク・フリードリッヒ・ヘンデル(1685-1759)が、ロンドンのコベント・ガーデン劇場でオペラを発表していた時代(1734-41)の作品。『アリオダンテ』と同じく、この時代のヘンデル作品は評価に恵まれず、やがてヘンデルはオペラ作曲そのものをやめてしまいます。

1735年に初演されましたが、当時はさんざんな評価でした。台本はリッカルド・ブロスキの『アルチーナの島(L'isola di Alcina)』。ルドヴィーコ・アリオスト叙事詩「狂えるオルランド」を題材としています。ヘンデルは他にも「狂えるオルランド」を題材としたオペラ『オルランド』『アリオダンテ』を作曲しています。

以下が粗筋です。

邪悪な魔女の姉妹アルチーナとモルガーナは孤島に住んでいます。

姉のアルチーナは、その比類なき美貌と魔法で男を魅了し、自分の島に連れ去りますが、飽きるとその男を獣や木石に変え、捨ててしまいます。アルチーナの島はそのような動植物で溢れています。

一方、ブラダマンテは、アルチーナに捕らわれた恋人ルッジェーロを探しに、男装してアルチーナの島へ潜入します。苦難の末、ブラダマンテはルッジェーロとの再会を果たし、二人は協力してアルチーナの魔力の源泉である魔法の甕を破壊します。すると、アルチーナの魔法は破れ、動植物に変えられていた男たちは元の姿へと戻ります。

以下、脇役ですがオロンテのアリアを紹介します。オロンテはアルチーナの妹モルガーナの恋人です。

第二幕第十場。

モルガーナは、オロンテという恋人がいるにも関わらず、男装のブラダマンテに恋してしまいます。嫉妬するオロンテは、アルチーナを唆(そそのか)し、ブラダマンテを獣に変えさせようと企てますが、モルガーナはアルチーナを説得し思いとどまらせます。そして、オロンテに、誰を恋するのも私の勝手と捨て台詞を残して立ち去ります。オロンテは、あまりの事に怒りに身を打ち震わせます。

(オロンテ)
恩知らずが侮辱するだけでなく軽蔑するようになったか?
さあ:、勇気をだせ、オロンテ、
貴奴(きゃつ)を魂(たましい)から追い払え;
そして、もしあいつが戻り、悔いて再びお前を愛するならば、
同じ手口であいつをくじいてやる.

そは狂気, そは惨めな情愛、
あやつが麗しさならず、
打ち負かせし
高慢に、我が心を。

来たれ、唇と眉が上へ、
胸が内にて育まれし憤怒よ、
侮辱されし愛の息子よ。

(ORONTE)
All'offesa il disprezzo giunge l'ingrata?
Su: coraggio, Oronte,
scaccia costei dell'alma;
e se mai torna pentita a riamarti,
deludi l'arti sue con l'istess'arti.

È un folle, è un vile affetto,
non è la sua beltà,
che trionfar la fa
superba del mio cor.

Vieni, sul labbro e al ciglio,
Sdegno, che nutro in petto,
Figlio d’offeso Amor.

参考:Andrei SKLIARENKOの元気な歌声をどうぞ。



※ 知らない歌手でしたが、怒りながらも自分に酔っているようなオロンテが表現されていて興味深いです。

ヘンデル・オペラの魅力:アリオダンテ

アリオダンテ(Ariodante)』は、ゲオルグ・フリードリッヒ・ヘンデル(1685-1759)が、ロンドンのコベント・ガーデン劇場でオペラを発表していた時代の作品(1735)です。この時代のヘンデル作品は評価に恵まれず、やがてヘンデルはオペラ作曲をそのものをやめてしまいます。この作品も当時は成功したとは言えないものでした。

脚本は、Ludovico Ariosto(1474-1533)の『狂えるオルランド(Orlando Furioso)』に出てくるアリオダンテとジネヴラの物語にもとづいたAntonio Salvi (1664–1724)の作品が元になっています。

当時の評価はともかく、美しく雄大なアリアを多数含む、このオペラは、今日ではヘンデル作品の中でも高い人気を誇っています。

以下が、粗筋です。

スコットランド王の娘ジネヴラは、アリオダンテと相思相愛で、王も認める間柄です。しかし、ジネヴラを妃とし、王位をものにしたいと考えている公爵ポリネッソは、ジネヴラが他の男と通じているとアリオダンテに思わせます。

それを信じたアリオダンテは絶望のあまり自殺を企てます。最初は、弟のルルカニオに引き留められ、思いとどまりますが、次に入水自殺を図ります。しかし、結局、死にきれず岸辺に漂着します。

すると、そこにジネヴラの友人ダリンダが逃げてきます。ダリンダは、ポリネッソの指示でジネヴラの恰好をしてポリネッソと密会していたこと、そして、ポリネッソは口封じのためダリンダに刺客を放ち、それから逃がれてきたことをアリオダンテに告げます。

真相を知ったアリオダンテは、急ぎ王宮に戻ります。その頃、王宮では、兄の自殺の原因がジネヴラの浮気であると糾弾するルルカニオと、ジネヴラ側に立ったポリネッソとの決闘が行われ、ポリネッソはルルカニオに刺されます。

そこに、死んだはずのアリオダンテが、ダリンダと共に現れ、事の次第を告げます。そして、瀕死のポリネッソも自らの罪を認めます。ジネヴラの無実を知ったスコットランド王は、幽閉していたジネヴラを釈放します。そして、ジネヴラはアリオダンテと晴れて再会します。

以下、アリオダンテの弟ルルカニオのアリアを紹介します。

第二幕第二場。

ジネヴラに扮するダリンダがポリネッソと密かに会っているところを目撃したアリオダンテは、ジネヴラの浮気と誤解し、その場で剣を抜き自らを刺そうとします。別の場所に潜んで、やはり一部始終を見ていたルルカニオは、兄に駆け寄り自殺を思いとどまるよう説得します。

(ルルカニオ)
やめよ、兄よ;気が触れたるか?

君は生きよ,、そして罰せよ
留まりたる由々しき
思いへの背きに、
真心への辱めに、
そは惨(むご)たらしき心変わり、
自らに刃(やいば)を向けるなど、
ふしだらなる女のために、
そはあまりに拙(つたな)き。

(Lurcanio)
Ferma, germano; a che tanto furore?

Tu vivi, e punito
rimanga l’eccesso
d’amore tradito,
d’offesa onestà.
Che il volger crudele,
il ferro in se stesso,
per donna infedele,
è troppa viltà.

参考:Richard Croftの見事なアジリタをお聴き下さい。


ヘンデル・オペラの魅力:タメルラーノ(1)

タメルラーノ(Tamerlano)』は、ゲオルグ・フリードリッヒ・ヘンデル(1685-1759)がロンドンに居を構え、王立音楽アカデミーに招かれてから作曲されました。初演は1724年ロンドンの王立劇場。当時、最も成功したヘンデルの三大オペラのひとつで、他に『エジプトのジュリオ・チェーザレ』、『ロデリンダ』があります。原作はフランスの劇作家ジャック(ニコラ)・プラドンの「タメルラン、又はバヤゼットの死」。これを台本作家で作曲家・劇場支配人のニコラ・フランチェスコ・ハイムがオペラのイタリア語台本に書き直しました。

粗筋は以下です。

1402年、オスマン朝トルコの王バヤゼットは、タタールの王タメルラーノに、美貌の娘アステリアともども捕らわれます。しかし、アステリアに一目ぼれをしたタメルラーノは、アステリアを解放し、父のバヤゼットにかけられていた鎖も解きます。

そして、バヤゼットに完全な自由と命の保証の引き換えにアステリアとの結婚を許すよう迫ります。ところが、バヤゼットは愛する娘を敵に娶らせるくらいなら死ぬと言います。タメルラーノは、盟友であるギリシャの王子アンドロニコにバヤゼットを説得するように要請しますが、実は、アンドロニコはアステリアと相思相愛の仲であり、タメルラーノの企みを聞き動揺しています。

当のアステリアは、バヤゼットを無視し、一旦はタメルラーノからの求婚を受け入れたと見えたものの、二度に渡りタメルラーノの命を狙います。これに激高したタメルラーノは父娘ともに極刑を申し渡します。すると、バヤゼットは自ら毒をあおり、壮絶な最期を遂げます。最後までトルコ王としての誇りと威厳を守り抜いたバヤゼットの死に、タメルラーノは心打たれ、バヤゼットとアステリアのすべてを許した上、アンドロニコとアステリアの結婚も許すと宣言します。

以下、バヤゼットのアリアを紹介します。

第一幕第一場。

タメルラーノは、アステリアとの婚姻を承諾させるため、バヤゼットを牢から放ち、アンドロニコを説得に差し向けます。ところが、バヤゼットは死の決意と、遺される最愛の娘アステリアへの想いとの葛藤をアンドロニコに語り始めます。

(バヤゼット)

あぁ、わが運命(さだめ)よ、汝の何たる惨さ!
我は囚われの身、
我が敵に嘲られ;
復讐するはわが手にあるも、
それを失い;
我は死ぬるとも、
我が愛は未だ免れがたく;
我を死なせず 。

我は強く喜ばしく死へと赴かん
わが思い隠せおおせば
娘への大いなる愛。
娘に悲しみなかりせば、
汝に誇り高き我を見せ、
より勇ましさ持て死ぬる。

(VAJAZET)

Ah! mio destin, troppo crudel tu sei!
Son tra ceppi,
e m'insulta il mio nemico;
ho in mano la vendetta,
e pur la perdo;
posso morire,
e ancora m'è fatale il mio amor;
né vuol, ch'io mora.

Forte e lieto a morte andrei
se celassi ai pensier miei
della figlia il grande amor.
Se non fosse il suo cordoglio,
tu vedresti in me più orgoglio,
io morrei con più valor.

ヘンデルは、カストラート全盛の当時、主役であるバヤゼットにテノールを起用するという大胆な配役を行いました。理由は寡聞にして知りませんが、終幕で、主役が死んでしまうという当時としては異例の最後に対し、やはり当時としては脇役や敵役にしか当てられなかったテノールを配することで、独特の効果を狙ったかも知れません。

参考:
Thomas Randleの力強い歌声をご堪能下さい。



John Mark Ainsleyの声も捨てがたい魅力がありますね。


ヘンデル・オペラの魅力:ロドリーゴ、もしくは、自らに打ち勝つは最大の勝利

ロドリーゴ、もしくは、自らに打ち勝つは最大の勝利(Rodrigo ovvero Vincer se stesso è la maggior vittoria)』は、ゲオルグ・フリードリッヒ・ヘンデル(1685-1759)が23歳にして初めてイタリア語の台本を元に作曲したオペラです。初演は1707年フィレンツェのココメロ劇場。脚本はFrancesco Silvani(1660-1728もしくは1744)の作品を元にしています。

ヘンデルは、既にハンブルグでドイツ語オペラ(Singspiel)を数曲作曲していましたが、1706年にはハンブルグからフィレンツェに赴き、そこでイタリアの音楽関係者と交流し、この作品を発表しました。なお、続いて作曲されたイタリア語オペラ『アグリッピーナ』はイタリアで大ヒットし、ヘンデルはイタリア人から親しみを込め「親愛なるサクソン人(Il caro Sassone)」と称賛されました。

この作品は、第三幕の楽譜が失われていたことから、長らく再演されることはなかったのですが、1983年にそれが発見され、翌年には再演されました。277年ぶりのことです。以来、世界各地で演奏されています。

粗筋は以下です。

710年、西ゴート王国(今のスペイン)の王ロドリーゴ(ロデリック)は、堕落した前王ヴィティッザを倒し王位についたものの、前王と同じように堕落し、妻エジレーナがありながら、セウタ(アフリカにある王国の飛地領)の伯爵ジュリアーノの妹フロリンダと通じ、子まで生していました。

一方、ジュリアーノは、アラゴナ(シチリアの一地方)の王で、ヴィティッザの遺児エヴァンコを打ち破り、その身柄を拘束します。しかし、ロドリーゴがフロリンダを妻とするとの約束を違えたことから、ジュリアーノは、ロドリーゴへの忠誠を捨て、なんと敵であったエヴァンコに、フロリンダを娶るなら王国の継承を許すと約束します。

ジュリアーノは、その後、ロドリーゴの宰相であるフェルナンドの奸計に会い、捉えられ殺されそうになりますが、エヴァンコに救出され、最後にはロドリーゴの軍を倒します。しかし、エジレーナの嘆願により、ロドリーゴは命までは取られず、妻エジレーナとともに王国から放逐されます。そして、エヴァンコはフロリンダと結婚し、二人は、フロリンダとロドリーゴの子を育てることにします。また、兄のジュリアーノは王国の宰相となります。

オペラ・セリアのお約束で、やはり、君主の寛容さが讃えられていますね。

以下、脇役ながら重要な役回りであるジュリアーノのアリアを紹介します。

第一幕第五場。

エヴァンコの軍を破り、彼を鎖につないだジュリアーノは、その勝利の勢いを以って、さらにイベリア半島へと軍を進めようと高らかに宣言します。

(ジュリアーノ)
統べられざる王位、イベリアへ
掌を持て、月桂冠を広げ
勝利を祝わん
そして大いなる、高貴なる衝突の内、
我らに誉れをもたらし
今日の栄華を約束せん

(Guiliano)
Dell'Iberia al soglio invitto,
Reca palme e sparge allori
Festeggiante la vittoria.
E del grande alto conflitto,
A noi vengono gli onori
Che promette oggi la gloria

参考:Rufus Müllerの軽やかな歌声をお楽しみ下さい。