ヘンデル・オペラの魅力:セルセ
『セルセ(Serse)』は、ゲオルグ・フリードリッヒ・ヘンデル(1685-1759)が、ロンドンのコベント・ガーデン劇場でオペラを発表していた時代の作品(1738)です。先に紹介した『アリオダンテ』や『アルチーナ』もそうですが、この時代のヘンデル作品は評価に恵まれませんでした。
この作品も御多分に漏れず、当時は話題にもなりませんでした。そして、公演はわずか5回で打ち切られてしまいました。
当時のヘンデルは、これに苦しみ、ドイツ国籍を捨て、名前もジョージ・フレデリック・ハンデルとイギリス風に変え、イギリスに帰化することで何とかイギリス人に受け入れてもらえるようにと心を砕きますが、あまり効かなかったようです。ヘンデルは、その後2作品を発表しただけで、イタリア・オペラの作曲そのものをやめてしまいます。
当時の評判はともかく、この作品は、ラブ・コメディとも言える楽しいストーリーに加え、随所に聴かせ処となるアリアが散りばめられていて、今日では人気の高いヘンデル・オペラのひとつとなっています。
粗筋は以下です。
紀元前450年頃、ペルシャ王セルセ(クセルクセス)は、許嫁アマストレがいるにも関わらず、弟アルサメーネの恋人であるロミルダに、それとも知らず一目惚れしてしまいます。そして、セルセがアルサメーネにロミルダとの仲を取り持つように命じたところから、ドタバタ・コメディーが始まります。
まず、その命令に戸惑うアルサメーネ、セルセの浮気を阻止しようとするアマストレ、アルサメーネに横恋慕するロミルダの姉アタランタと登場人物それぞれの思惑が錯綜して、波乱の展開となります。
第一幕第一場。
シンフォニア(序曲)が終わり、その冒頭、王宮の庭を散策するセルセがおもむろにアリアを歌いだします。
このアリアは、聴けば、誰でも聴いたことがある、その有名な美しい旋律とは裏腹に、セルセが、プラタナスの心地よい木陰を愛ずるという、実は呆けた王様であることを表現していて、これから始まる滑稽な恋愛劇を暗示していると思います。
日本では、コマーシャルソングとしてキャサリン・バトルが歌って大ヒットしましたね。
(セルセ)
わが愛するプラタナスの
優しく美しき枝葉よ、
運命がおまえを光り輝かせるように
雷鳴や稲妻や嵐が
愛しき安らぎを乱すことも
獰猛な南風がおまえを決して荒らすぬように!
木の陰よ。
いまだかつてなかった
いとしく、優しく、とても心地よき。
(Serse)
Frondi tenere e belle
del mio platano amato
per voi risplende il fato
tuoni lampi e procelle
nonv`oltraggino mai la cara pace
ne giunga a profanarvi austro rapace!
Ombra mai fu
di vegetabile,
cara ed amabile, soave piu.
わが愛するプラタナスの
優しく美しき枝葉よ、
運命がおまえを光り輝かせるように
雷鳴や稲妻や嵐が
愛しき安らぎを乱すことも
獰猛な南風がおまえを決して荒らすぬように!
木の陰よ。
いまだかつてなかった
いとしく、優しく、とても心地よき。
(Serse)
Frondi tenere e belle
del mio platano amato
per voi risplende il fato
tuoni lampi e procelle
nonv`oltraggino mai la cara pace
ne giunga a profanarvi austro rapace!
Ombra mai fu
di vegetabile,
cara ed amabile, soave piu.
歌だけ聞くと荘厳そのものですが、オペラの文脈から見ると、朗々と歌えば歌うほど、会場からクスクス笑いが出てくるというところです。
参考
Rolando Villazonの元気な歌声でどうぞ。
麗しのイタリア古典歌曲:バッサーニ作曲 眠っているのか 美しい女よ
イタリア古典歌曲の歌詞は、恋人への強い想いを歌っているもの、想う人から、フラれた、もしくはつれなくされての恨み節を歌っているものに大別できると思います。
この歌は、その後者。作曲者のジョバンニ・バッティスタ・バッサーニ(1657? - 1716)は、イタリア、パドヴァ出身の作曲家です。1688年にフェラーラにあるサン・ジョルジョ大聖堂の楽長に就任し、1712年にはベルガモのサンタ・マリア・マッジョーレ教会の楽長に就任しました。そして、1716年、その地で没しました。オペラ、オラトリオを多数作曲しています。
この歌は、つれない恋人への報われぬ想いを歌っていますが、明るく軽快なメロディーが恨み節に響かせません。
眠っているのか、美しい女(ひと)よ。
眠っているのなら、夢見てほしい
少しは冷たくしないことを.
目覚めているのなら、私に見せてほしい
いくらかの慈しみを。
私は心の底から
深い溜め息を送るのに、
貴女は答えてくれない、
ああ残酷な愛よ。
反抗的な美しい瞳よ、
いったい誰がお前の眼を開けたのか。
しかも貴女は語らない、
ああ残酷な愛よ。
Dormi,bella,dormi tu?
Se dormi,sognati
d'esser men cruda;
se vegli,porgimi
qualche pieta.
Sospiri profondi
tramando dal cor
e tu non rispondi,
ahi barbaro amor.
Bei lumi rubelli,
chi mai,chi v'apriva?
e tu non favelli,
ahi barbaro amor.
参考:Jaume (Giacomo) Aragallの清々しい歌声でどうぞ。
麗しのイタリア古典歌曲:D.スカルラッティ作曲 恋する蝶のように
「恋する蝶のように(Qual farfalletta amante)」は ドメニコ・スカルラッティ(1685-1757)作曲です。
ドメニコはナポリ出身の作曲家で、父は同じく作曲家のアレッサンドロ・スカルラッティ(1660-1725)。なお、奇しくもドメニコの生年と同年にバッハとヘンデルが生まれています。シンクロニシティというものでしょうか。本当に不思議です。
ドメニコは、恐らく父の許で初期の音楽教育を受け、1701年には早くもナポリの王立教会の作曲家・オルガニストに指名されました。1704年にはベネチア、そして1709年にはローマへと居を移しています。その頃にはチェンバリストとして名を馳せていて、ローマの枢機卿邸にてヘンデルとチェンバロとオルガンの腕比べを行ったとのエピソードが伝わっていますが、真偽のほどはわからないようです。でも、当時の状況として、さもありなんということでしょう。
この作品の軽快で細やかなメロディは、歌詞どおり(小さな)蝶(farfalletta)が飛び回るようで、恋心が踊っている様を彷彿とさせます。
恋する蝶のように、
我はあの炎へと飛ぶ、
そは胸の内にて我が心を燃やし、
そして我は死なず、否、あぁ、否!
そなたの麗しい俤(おもかげ)は、
我が内に熱情が募るなら、
悩むこの心に、
憩いを与えよう、そうとも。
Qual farfalletta amante,
Io volo a quella fiamma,
Che in petto il cor m'infiamma,
E morte non mi da, no, ah no!
Il vago tuo sembiante,
se accresce in me l'ardore,
a quest'afflitto core,
ristoro pur darà, sì.
参考 Sumi Joの軽い感じが曲想に良く合っているように思います。
オペラの影の立役者:レチタティーヴォって何?
オペラのアリアを歌っていると人にいうと、オペラを聴いたことがある人から、「オペラのアリアとアリアの合間に、歌っているともしゃべっているとも良くわからないセリフがあるんだけどあれって何?」と時々尋ねられます。
アリアと比較すると、メロディも美しくないし、何これっと思う人も多いと思います。確かに、意味も良く分からないのに長々と続いて、退屈と感じる人が多いのかも知れません。字幕や、リブレットの日本語訳と突き合わせるのも面倒くさいと感じるかも知れません。でも、オペラに欠かせないのが、実はレチタティーヴォです。
今まで紹介してきたオペラのアリアについて、その歌詞を良く読んでいただけるとわかりますが、歌い手が悲しい場面を演じていると、アリアは、ただひたすら「悲しい、悲しい。」と歌っているだけです(かなり単純化していますが)。嬉しがっている時は「うれしい、うれしい。」、怒っているときは、「頭に来た、頭に来た。」と繰り返しているだけです。はっきり言って、これではオペラの場面が、ちっとも進展しません。もし、レチタティーヴォ抜きで、アリアだけが続くと、話がさっぱりわからなくなってしまうでしょう。
そこで、レチタティーヴォは、なぜ、その場面の登場人物が悲しいのか、何に対して嬉しがっているのか、どうして怒らなければならないのか状況を説明しているのです。
特に、スマホでイタリア国営放送のインターネット・ラジオが聴けることを発見してから、イタリア語にはまってしまいました。声楽を始めた頃は、本屋で買ってきた文法書を時々参照するくらいで、いい加減にやってました。でも、ラジオでイタリア人の生の喋りを聞いてみると、レチタティーヴォってイタリア人の普通の会話を採譜しただけだと気が付きました。つまり、イタリア人は、皆日常的に歌を歌っていることに気づいてしまいました。それからは、レチタティーヴォががぜん面白くなってきました。
イタリア在住の日本人声楽家のブログを読んでいたら、イタリア語を話す練習をする時はメトロノームを使って練習しなさいと書いていましたが、本当にそうだと思います。イタリア人の身体には生まれつきメトロノームが備わっていて、実に見事にリズムを刻みながらしゃべっています。
もし、読者の中でイタリア・オペラに興味がある方がおられましたら、少しでもかまいせんので、イタリア語もかじってみて下さい。ちょっとでもわかると、楽しみ方が倍増と言わず、3倍増、4倍増すると思います。
参考:
レチタティーヴォ+アリアの形式はポッブスにも強い影響を与えました。この形式が、歌を説明するのに、とっても都合が良いからだと思います。その内、代表的な曲を紹介します。
Domenico Modugnoが歌うVolare、よくご存じの方も多いでしょう。最近、リバイバル・ヒットしているみたいですけど、見事なレチタティーヴォ・アカンパニャートの部分が省略されているのが残念です。
麗しのイタリア古典歌曲:マルティーニ作曲 愛のよろこびは
『愛のよろこびは(Piacer d'amor)』は、マルティーニの作品(1784)です。
曲名は知らなくても、たぶん、どこかで聴いたことがある人は多いのではないでしょうか。実は、エルビス・プレスリーの『好きにならずにはいられない(Can't Help Falling In Love)』の元歌が、これです。
作曲家ですが「マルティーニ」と自らイタリア風に名乗っていたものの、本当はフライシュタット出身のドイツ人でパリで活躍し、当時のブルボン王家の宮廷楽長を勤めていました。本名はヨハン・パウル・エギディウス・シュヴァルツェンドルフ(1741-1816)。
歌詞はイタリア語ですが、原詩はジャン-ピエール・クラリス作のフランス語詩です。実際、この曲はフランス語で歌われることの方が多いと思います。
内容は、女性に振られた男の愚痴に過ぎないのですが、甘く愛らしいメロディーは聴くものを魅了します。
日本では結婚式のBGMに使われることがあるらしいですが、こんな内容の歌詞だと知らないだけなのか、あるいは知ってての皮肉を込めた『冗談』なのでしょうか。
愛の歓びは一日しか続かないが、
愛の苦しみは一生涯続く。
私は彼女のためにすべてを忘れた、あの不実なシルヴィアのために。
だが、彼女は今私を忘れ、ほかの愛に身を委ねている。
「平野を取り巻く海に向かって
小川が静かに流れているうちは、
私はあなたを愛しています」と不実な女は言った。
小川は今も流れているが、彼女の愛は変わってしまった。Piacer d'amor più che un dì sol non dura;
martir d'amor tutta la vita dura.
Tutto scordai per lei, per Silvia infida;
ella or mi scorda e ad altro amor s'affida.
“Finché tranquillo scorrerà
il ruscel là verso il mar che cinge la pianura
io t'amerò.” mi disse l'infedele.Scorre il rio ancor ma cangiò inlei l'amor.
パリゾッティが、この曲を古典歌曲集に入れなかったら、プレスリーの名曲も生まれなかったということになりますね。
参考:Angela Gheorghiuの歌声でどうぞ。
麗しのイタリア古典歌曲:コンティ作曲 私を燃え立たせるあの炎
以前、バロック音楽研究家であったパリゾッティが、自身の「古典歌曲集」に曲を収録するに当たり、図書館で古い楽譜を漁っていたらしいことを書きましたが、当時は情報が少ないため、収録楽譜の周辺情報が結構間違っていたようです。
『私を燃え立たせるあの炎(Quella fiamma che m’accende)』も、そのような曲のひとつです。
この曲はパリゾッティ(1853-1913)によって『古典イタリア・アリア集(Arie
antiche)』(1914年リコルド社刊)に収録された際、バロック期の作曲家であるベネデット・マルチェッロ(1686-1739)の曲とされました。
そして、全音楽譜出版社の「イタリア歌曲集」でも、マルチェッロ作曲とされています。
マルチェッロは、私が大好きなバロック時代の作曲家の一人なのですが、曲の雰囲気がマルチェッロの他の作品と全く似ていないのが気になってネットで調べてみたら、この曲は、実はフランチェスコ・バルトロメオ・コンティ(1681-1732)が作曲したものであるとのことが、最近判明したとのことです。
そう言われると、確かに、レチタティーボとアリア部分の雰囲気が全く似ていませんね。
1700年頃には既にフィレンツェだけでなく、フェラーラやミラノでもテオルボ奏者として高く評価されていました。その名声を買われ1708年からウィーンのハプスブルク家にてテオルボ奏者として仕え始め、後に、宮廷作曲家にまで上り詰めました。その後、健康上の理由でイタリアに一時帰国しましたが、1732年にウィーンに戻り、その地で死去しました。
まぁ、パリゾッティによって再発見された時とは異なる作曲家の作品で、しかも、誰かが曲の一部を勝手に追加していたことが判明したものの、直向きで燃えるような恋心をせつせつと訴え、聴く者の心を打つ、この曲の魅力は変わりません。
私のすばらしい火は、
私が遠かろうが近かろうが、お前のために決して変わらず、
愛しい人よ、いつも燃やそう。
私を燃やすあの炎を、
私の魂はとても好いている、
それは決して消えなかろう。
そして、もし私をお前の許に返す定めなら、
私の美しい太陽の麗しい瞳よ、
私の魂は別の光を望まぬし、
決して望まなかろう。
Il mio bel foco,
o lontano o vicino ch’esser poss’io,
senza cangiar mai tempre per voi,
care pupille, arderà sempre.
Quella fiamma che m’accende,
piace tanto all’alma mia,
che giammai s’estinguerà.
E se il fato a voi mi rende,
vaghi rai del mio bel sole,
altra luce ella non vuole
nè voler giammai potrà.
もし、このブログを全音楽出版社の担当の方が読まれた場合は、是非とも「イタリア歌曲集」を訂正して下さい。コンティとマルチェッロの名誉のためにもお願いします。
参考:これもCecilia Bartoliの歌で決まりですね。
麗しのイタリア古典歌曲:ロッティ作曲 美しい唇よ、お前は言ったのだ
パリゾッティは、古典歌曲集に収録する歌を集めるのに、図書館で古い楽譜を探して回ったようで、出所不明の曲が結構あります。しかし、そのような歌を丁寧に拾い上げて行ったところにパリゾッティの功績があるのではないかと思います。
古典歌曲集に収録されたことから、今も歌われている、この曲は、ベネツィア生まれのアントニオ・ロッティ(1667-1740)が作曲したことはわかっていますが、作曲された年代も、何のために作曲したのかもわかっていません。ただ、その詩よりロッティの初期の田園オペラ"La Ninfa Apollo"(1710年)のアリアであることが窺われます。ロッティは、一時、ベネツィアで最も人気の高いオペラ作曲家だったのです。
この作品は、魅惑的なメロディと随所に配された装飾音が、この歌に優美さを与え、愛の美しさと喜びを表現しています。
美しい唇よ、あなたは言った
やさしく愛らしく「はい」と、
それは私の心からの喜びだ。
彼の名誉として
アモールは口づけひとつで開けてくれた、
あなたの喜びの甘い泉を、あぁ!
Pur dicesti, o bocca bella,
Quel soave e caro sì,
Che fa tutto il mio piacer.
Per onor di sua facella
Con un bacio Amor t’aprì,
Dolce fonte del goder, ah!
やさしく愛らしく「はい」と、
それは私の心からの喜びだ。
彼の名誉として
アモールは口づけひとつで開けてくれた、
あなたの喜びの甘い泉を、あぁ!
Pur dicesti, o bocca bella,
Quel soave e caro sì,
Che fa tutto il mio piacer.
Per onor di sua facella
Con un bacio Amor t’aprì,
Dolce fonte del goder, ah!
参考:Cecilia Bartoliの歌で決まりですね。
https://www.youtube.com/watch?v=7eOepwQyVYU