オペラの原点:バロックオペラの楽しみ

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オペラの影の立役者:レチタティーヴォって何?

オペラのアリアを歌っていると人にいうと、オペラを聴いたことがある人から、「オペラのアリアとアリアの合間に、歌っているともしゃべっているとも良くわからないセリフがあるんだけどあれって何?」と時々尋ねられます。

これは、レチタティーヴォと呼ばれている歌の一種で、アリアがその時々の歌い手が演ずる役柄の情感を表しているのに対して、レチタティーヴォは、もっぱらオペラの筋書きを進めるのに歌われます。

アリアと比較すると、メロディも美しくないし、何これっと思う人も多いと思います。確かに、意味も良く分からないのに長々と続いて、退屈と感じる人が多いのかも知れません。字幕や、リブレットの日本語訳と突き合わせるのも面倒くさいと感じるかも知れません。でも、オペラに欠かせないのが、実はレチタティーヴォです。

今まで紹介してきたオペラのアリアについて、その歌詞を良く読んでいただけるとわかりますが、歌い手が悲しい場面を演じていると、アリアは、ただひたすら「悲しい、悲しい。」と歌っているだけです(かなり単純化していますが)。嬉しがっている時は「うれしい、うれしい。」、怒っているときは、「頭に来た、頭に来た。」と繰り返しているだけです。はっきり言って、これではオペラの場面が、ちっとも進展しません。もし、レチタティーヴォ抜きで、アリアだけが続くと、話がさっぱりわからなくなってしまうでしょう。

そこで、レチタティーヴォは、なぜ、その場面の登場人物が悲しいのか、何に対して嬉しがっているのか、どうして怒らなければならないのか状況を説明しているのです。

私も声楽を歌い始めたばかりの頃、メロディらしいメロディもなく、レチタティーヴォは、歌いづらくて仕方がないと感じていました。何よりも、拍子が取りにくくて、メトロノームをバックに悪戦苦闘していたのを思い出します。でも、少しでも歌詞の意味がわかればいいなと、イタリア語の勉強をし始めてから、考え方がガラリと変わりました。

特に、スマホでイタリア国営放送のインターネット・ラジオが聴けることを発見してから、イタリア語にはまってしまいました。声楽を始めた頃は、本屋で買ってきた文法書を時々参照するくらいで、いい加減にやってました。でも、ラジオでイタリア人の生の喋りを聞いてみると、レチタティーヴォってイタリア人の普通の会話を採譜しただけだと気が付きました。つまり、イタリア人は、皆日常的に歌を歌っていることに気づいてしまいました。それからは、レチタティーヴォががぜん面白くなってきました。

イタリア在住の日本人声楽家のブログを読んでいたら、イタリア語を話す練習をする時はメトロノームを使って練習しなさいと書いていましたが、本当にそうだと思います。イタリア人の身体には生まれつきメトロノームが備わっていて、実に見事にリズムを刻みながらしゃべっています。

もし、読者の中でイタリア・オペラに興味がある方がおられましたら、少しでもかまいせんので、イタリア語もかじってみて下さい。ちょっとでもわかると、楽しみ方が倍増と言わず、3倍増、4倍増すると思います。

参考:
レチタティーヴォ+アリアの形式はポッブスにも強い影響を与えました。この形式が、歌を説明するのに、とっても都合が良いからだと思います。その内、代表的な曲を紹介します。

Domenico Modugnoが歌うVolare、よくご存じの方も多いでしょう。最近、リバイバル・ヒットしているみたいですけど、見事なレチタティーヴォ・アカンパニャートの部分が省略されているのが残念です。