オペラの原点:バロックオペラの楽しみ

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ヘンデル・オペラの魅力:タメルラーノ(1)

タメルラーノ(Tamerlano)』は、ゲオルグ・フリードリッヒ・ヘンデル(1685-1759)がロンドンに居を構え、王立音楽アカデミーに招かれてから作曲されました。初演は1724年ロンドンの王立劇場。当時、最も成功したヘンデルの三大オペラのひとつで、他に『エジプトのジュリオ・チェーザレ』、『ロデリンダ』があります。原作はフランスの劇作家ジャック(ニコラ)・プラドンの「タメルラン、又はバヤゼットの死」。これを台本作家で作曲家・劇場支配人のニコラ・フランチェスコ・ハイムがオペラのイタリア語台本に書き直しました。

粗筋は以下です。

1402年、オスマン朝トルコの王バヤゼットは、タタールの王タメルラーノに、美貌の娘アステリアともども捕らわれます。しかし、アステリアに一目ぼれをしたタメルラーノは、アステリアを解放し、父のバヤゼットにかけられていた鎖も解きます。

そして、バヤゼットに完全な自由と命の保証の引き換えにアステリアとの結婚を許すよう迫ります。ところが、バヤゼットは愛する娘を敵に娶らせるくらいなら死ぬと言います。タメルラーノは、盟友であるギリシャの王子アンドロニコにバヤゼットを説得するように要請しますが、実は、アンドロニコはアステリアと相思相愛の仲であり、タメルラーノの企みを聞き動揺しています。

当のアステリアは、バヤゼットを無視し、一旦はタメルラーノからの求婚を受け入れたと見えたものの、二度に渡りタメルラーノの命を狙います。これに激高したタメルラーノは父娘ともに極刑を申し渡します。すると、バヤゼットは自ら毒をあおり、壮絶な最期を遂げます。最後までトルコ王としての誇りと威厳を守り抜いたバヤゼットの死に、タメルラーノは心打たれ、バヤゼットとアステリアのすべてを許した上、アンドロニコとアステリアの結婚も許すと宣言します。

以下、バヤゼットのアリアを紹介します。

第一幕第一場。

タメルラーノは、アステリアとの婚姻を承諾させるため、バヤゼットを牢から放ち、アンドロニコを説得に差し向けます。ところが、バヤゼットは死の決意と、遺される最愛の娘アステリアへの想いとの葛藤をアンドロニコに語り始めます。

(バヤゼット)

あぁ、わが運命(さだめ)よ、汝の何たる惨さ!
我は囚われの身、
我が敵に嘲られ;
復讐するはわが手にあるも、
それを失い;
我は死ぬるとも、
我が愛は未だ免れがたく;
我を死なせず 。

我は強く喜ばしく死へと赴かん
わが思い隠せおおせば
娘への大いなる愛。
娘に悲しみなかりせば、
汝に誇り高き我を見せ、
より勇ましさ持て死ぬる。

(VAJAZET)

Ah! mio destin, troppo crudel tu sei!
Son tra ceppi,
e m'insulta il mio nemico;
ho in mano la vendetta,
e pur la perdo;
posso morire,
e ancora m'è fatale il mio amor;
né vuol, ch'io mora.

Forte e lieto a morte andrei
se celassi ai pensier miei
della figlia il grande amor.
Se non fosse il suo cordoglio,
tu vedresti in me più orgoglio,
io morrei con più valor.

ヘンデルは、カストラート全盛の当時、主役であるバヤゼットにテノールを起用するという大胆な配役を行いました。理由は寡聞にして知りませんが、終幕で、主役が死んでしまうという当時としては異例の最後に対し、やはり当時としては脇役や敵役にしか当てられなかったテノールを配することで、独特の効果を狙ったかも知れません。

参考:
Thomas Randleの力強い歌声をご堪能下さい。



John Mark Ainsleyの声も捨てがたい魅力がありますね。